川崎病その7
「じゃあオマエがやれよ!」
娘のベッドの正面、小1くらいの少年が入院していて、その彼の叫びが聞こえる。お昼という事で他のベッドも賑やかではあるが、穏やかでないな、と娘のママゴトの相手をしながら聞き耳を立てた。
どうやら彼の看護でお婆さんが来ている様で、勉強を教えてる最中での事らしい。「あんた、オマエってなんやの!」
さすがにお婆さんも怒りを露わにしてるが、言っても小1、そのウチ収束し、お婆さんが「コンビニ行ってくるけど欲しいモンあるか?」と聞くと「ベイブレード。」と返す。ンなモンあるかいな。とお婆さんは買出しに向かった。
僕はその様子を少し呆れ調子で妻にラインすると、でもあの子重症ぽいし、辛いんじゃない?と。
確かに点滴を外す事も、デイルームすらも禁止されてる様で娘よりも重症らしく、むしろあの歳でよく頑張っている。
やがて戻ってきたお婆さん。しばらくして親御さんと交代する様で、帰り間際に「でもあんた…ほんまに、なぁ、まだ小さいのに…」と声が震えだし、続けて
「バァちゃん、次来る時はさっきのあれ、ベイブレードか、探して買ってくるさかいな」と涙を堪えて言い残していった。
盗み聞きしてる分際で、僕は貰い泣きしそうになる。
点滴も外れ、今しがた主治医の先生に週明けの退院を告げられた娘の笑顔が、なんだか本当にありがたい事だと神妙な気持ちになった。
その夜、親父が田舎から見舞いに来たので、妻と交代し、ウチで親父と息子、三人で晩飯を食う事に。
母がこの夏脳梗塞で入院し、軽度だったとはいえ高齢である事もあって、何かと調子が悪いと聞く。そのくせ、
DIY好きが嵩じて電気工事士の資格を取ってしまう様な親父、最近は屋根の修理などもやってると自慢気に話すので、
父さんが怪我したら母さん独りでどうやって生きてくんだ。ちょっと考えてくれよ、と苦言を呈すると、まぁそうや、と自嘲気味に、でも、どこか寂しそうに笑った。
娘はとりあえず自宅療養という事で、
その翌日退院出来た。
僕が仕事から帰った時には、妻と子供ら三人、川の字になって寝ていて、いつもの暮らしに戻ったと思った。
僕は独りアニメを観ながら晩酌をした。
いつもどおりだ。
寝る前に入院用に買った物をゴミと一緒に処分しようとして、
大きな仕事を一つ終えたような、
辿り着くべき場所に辿り着いたような、
安堵とも、嬉しさとも言えない感覚がボンヤリと胸を埋め尽くした。
僕は簡単に危機感を忘れる。
例えばあの少年と同じ病気に息子がなってしまったらどうだろうか。
よく言う、
危機管理、自己防衛。
そんな言葉は現実の前で、所詮慰めでしかない。不幸は突然襲いくる。そこに納得出来る理由など無い。
あの少年が無事退院出来る事を心の隅で祈り、
娘が無事退院出来た感謝を僕は今、
ボンヤリと忘れようとしている。
忘れなければ、
明日どんな不幸が来てもおかしくない、
まさかの不運が全てを奪うかも知れない。
そんな不安を忘れなければ、
僕は、
いや、人は皆、
とても生きて行けないのだと思う。