40代管理職、父になる。

6歳男児.2歳女児、共働きの父。趣味は自転車。

厳しさとはなんだろう。

親父を睨みつけた事がある。

具体的な理由は憶えてないけれど、

親父に「親を睨むのか!」と怒鳴られた事は確かなので睨んでいたのだろう。

 

それが中学生の頃か、小学生か、いや幼少だったろうか、でも父はとにかく、グズグズする僕に厳しく叱った。グズグズした代償に僕の大切な物を捨てたりもした。

 

厳しくするとはどういう事だろう。

 

僕は良くも悪くも、歯に衣着せずに現実を目の当たりにさせる事が厳しさだと思っていて、そこからプラスに考えさせなければ、

仕事でも歯磨きでも、その人にとって誰かにやらされる「嫌な事」にしかならない。それは大人も子供も同じだと思っている。

 

仮にオモチャに夢中でいう事を聞かない子供に対し、オモチャを取り上げていう事を聞かせる、例えば、歯磨きさせる。よくあるシーンだと思う。でもそれでは歯磨きも嫌いになるし、親そのものを許せないと思うのは当然だ。

 

なぜなら例えば部下に対して、

今その仕事は必要ないだろ、と問答無用でPCの電源を落とす様なモノであるからだ。

 

その部下は、例えその結果にどんな正当性があっても、上司に対して不信感を持つ、場合によっては憎悪する事もあるのは想像に難くない。

 

 とはいえ、

 

トトロに夢中で寝室に向かわない、そんな息子をどうするか。

 

ママが寝室で息子に早く来いと怒っているが息子はテレビに夢中。これはそのうち妻に怒鳴られるヤツだ。

僕は、

「よし、じゃあサツキがメイちゃん見つけたトコで今日はお終いな?」

というと、猫バスが到着する五分はジッとテレビを見つめ、二人が抱き合ったシーンで、息子はすくっと立ち上がり、自分で停止ボタンを押してテレビを消した。

 

僕は奪わない。

 

息子から選択の権利を。

自分で選ぶという責任を。

選択の結果を考えて行動する事こそが人らしい生き方で、それを奪う事は分かりやすい話、パワハラだろう。

 

「ここでお終いね?」「次はこれをやるよ?」そういった導きは子供には必要だけれど、それを選択するのは本人であるべきだ。

 

息子は、ママを怒らせたくなかったのか、眠かったのかは分からない。

ただ今の自分にとって最善の選択を出来た事に満足してる様子である。

 

そこに関していえば、

大人も子供もない。

 

誰もが最善の選択をしたくて、

その結果に僅かでも酔いしれる事が出来たなら、その日はきっとその人にとって素晴らしい一日になるはずなのだ。