40代管理職、父になる。

6歳男児.2歳女児、共働きの父。趣味は自転車。

クシャクシャになった心

もう時効だろうと思うので書きます。

息子が小2の頃、
突然妻にむかって

「僕、死んだ方がいいのかな」

と、脱衣所で突然泣きながら訴えてた。

只事では無い、と、僕らは疑いも無く学校に
連絡し、
学校も早急に対応してくれた為、
その「イジメ」がすぐに明るみとなった。

登下校の時も仲間はずれにしたり、
「お前はくるな」
「うざい」「名前もムカつく」
など、その他多くの暴言を頂いたようで(暴力もあった。)
学校内外問わず、気の優しい息子は
彼らのストレス発散の吐口となっていた様だ。

そのストレスとは、
少年Aの一人は家庭のストレス、
もう一人Bはグループの新参者で、
古参の一人を的にする事で仲間として取り入ろうという、そういう感覚だったのだろうと思う。

その二人に、担任の先生はこうお話しして下さった。

「この白い紙が彼の心として、1つ辛い事を言われたらココがクシャ、こっちもまた、クシャってなります。こうしてクシャクシャになったこの紙を元に戻して下さい。」
(伸ばそうとする二人)
「元の、まっさらなピンピンの紙に戻りますか?戻りませんね。彼の心は今も、これからもこのままです。」

少年Bは泣き出したという。

いまや、
イジメは社会問題となり、
学校もその義憤を併せて、イジメに対しては厳しく
対応してくれている。

そのおかげで、すぐ少年ABのご両親から連絡頂き、
ウチまで謝罪に来たいと仰るので僕は、

お断りした。

お断りして「本人ともお話ししたいのでこちらからお伺いします。」
と、

僕はまず、B宅へ伺った。

当たり前だけれど、
我が子がイジメに加担してたら親がどんな気持ちになるか、それくらいは想像がつく。
でも、言わねばならない。

子供だって、何も分からずにやっているのは間違いないからだ。

誰が悪いという話をする気はない。
ただ、
その少年に、

「オジサンが誰かわかるかい?そう、あの子のお父さんだよ。そして、今日何しにきたか分かるかい?」

少年は半べそで、首を横に振った。
僕は、

「先生から、心のシワの話、聞いたよね。オジサンはね、今日、君の心を同じように、
クシャクシャにする為に来たんだよ。」

少年は号泣し、

親御さんは謝っていた。
謝ってなど欲しくない。子供を育てる難しさは知ってるつもりだし、それが千差万別である事も承知しているつもりだ。
だが、

僕が悪者になっても、僕 言わねばならないと思った。

主犯Aに関しても、同じ様にお話しさせてもらった。
彼の場合は、余計複雑で、ただ、
僕なりの光明は見えたと感じた。

その光明が何なのかここでは語れないけど、

結果、その後みんな仲良くしてくれている様で、
(息子は僕の暗躍を知らないが)
なによりだと思う。

イジメってのは深い問題で、
誰が悪いという話をし出すと、みんな少しづつ悪いし、何より全てはタイミングなのだ。

ただ、そうなる可能性を下げる為に出来る事があるとしたら、
親が子のストレスにいかに早く気付いてあげられるか、という事で、
A少年は家庭での悩み、B少年は新グループで居場所を作る悩み、
そして息子は、そのストレスを一身に受けて悩み、

僕はそんな息子のストレスを「死にたい」
という言葉が出るまで気付けなかった、
僕は一番のダメ親だと思う。

ストレスの渦は、自然発生的に起こる。どうしようもない現象なので、
その時何が出来るか予測しておく事はとても大切なのだ。

この件で僕なりに親御さんを責める気はサラサラなく、個人ブログといえネットに掲載する事すら憚られていたが、

あらためて、これは自然発生した事象であり、誰が悪いという話ではない、という事を明示しておく。

その上で、
同じ様に悩む親御さんには伝えたい。

まず、
①イジメに対して学校は必ず対応してくれると信じ、相談する事。
②各ご家庭の事情があれどそこは関係がない事。
③イジメは責任の追求より現場で起こる事を重要視する事。

そして、
最後に必ず「赦す」という事。

でも、
例えば息子が相談せずに自殺していたとしたら。

僕は彼らを赦せず復讐して、
赦せなかった自分をとても赦せない。

そんな地獄を垣間見る前に、

僕ら親が出来る事は、

我が子のストレスにいち早く気付く事なんだと、
僕はこの件で学んだのです。


でも、
親が当たり前に介入出来る時期にしか、
してあげられない事だと理解しています。

セミの羽化

※虫の苦手な方はご遠慮下さい。

よく、生物の孵化を教育として子供に見せる、という話を聞く。めんどくさがりの僕は興味もなかったけれども、
偶然、公園で弱ったセミの幼虫を拾ったので、
持ち帰り、
部屋のカーテンに付けると、息子は大喜び。
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張り紙したり、折紙で作ったセミを飾って、セミの羽化を心待ちにしている。
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でも、幼虫はどう見ても未熟な感じで、動きも遅く力ない。
残念ながら、
朝にはそのまま、お亡くなりになってました。

妻が幼虫の亡骸を片付けた後も、
息子はカーテンの下を探して「もしかしたらセミになって下に落ちてるかと思って」なんて言うので、パパ思わず涙を禁じ得ないわー!

って事で、

昨日の夕暮れ、
家族4人でセミの幼虫を取りに行ってきました。
息子と僕、無事一匹ずつ捕獲。
今度は二匹ともベランダの網戸に。

幼虫達は、
しばらくウロウロしてから落ち着く場所を発見した様子。

日が落ちると程なくして、先に一匹、羽化を始めた。
グロいような、美しいような、
少し剥きたてのエビにも見えたりして…
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ゆっくりと、でも目を離すとあっという間に、
美しい羽を伸ばした。

追うようにしてもう一匹、殻から抜け出る瞬間、
ゆっくりと羽を広げて始めて、

落ちた。

4人でうわー!となって、拾って助けようとする娘に
「触るんじゃねぇっ!」と一喝。
木の棒を持って来て仰向けの腹にそっと差し出すと、キュっと掴み返してきたけれど、

濡れティッシュのような羽が、セミの顔面にべっちゃりと張り付いて「あぁっ、羽が、、もうダメちゃう…?!」と妻、息を飲む子供達。
しかし、捕まった木の枝をシッカリ固定すると、ふるふると登り出し、やがて止まって、羽を伸ばし始めた。

ホッとする4人。
直後セミが自分で余計な動きをして落ちかけると妻、
「大人しくしとけやー!」
とキレ気味に叫ぶ。


朝起きると、一匹は、掴んでいた脱殻を残して
居なくなっていた。

落ちた方は、

落ちてた。

下に。

息子が僕を起こしながら「ママが、セミ、死んじゃったって」とクールに言うので、いや、セミ死んだフリするからなー、
と、ベランダに転がるセミの腹にまたそっと枝を差し出すと、
またキュッとしがみついてきて、息子「やった!」と思わず声をあげる。

可愛らしいモンだなと。
生きててよかったね。

玄関先に枝ごとセミを置いておこう、
元気になったら飛んでいくかもよ?

息子はその後、登校前までずーっと見てた。

ウチに帰ってきた頃には、元気に飛んでって、
居なくなってたらいいね。
僕はそう言って息子を学校へ見送った。

帰宅すると、セミは居なくなっていた。

妻は辺りに落ちてないか散々探したらしい。

どうやら、
ちゃんとどこかに飛んで行った様子。

よかったな、と息子に言うと、
ほんの少し寂しそうだった。

今朝、出発前に妻が息子に「二匹目はもしかしたら飛べなくて、そのまま死んじゃうかもね」と話すと「じゃあ、お家でお世話する?」といっていたらしい。

子供は多感で、
親が何かを学ばせようと、伝えようとする事の何倍も、

勝手に、色んな事を感じてるのだと僕は学んだ。

ヘメルット

自転車が趣味の僕としては、

子供のヘルメット選びにも余念がない。

 

bern(お洒落ヘルメット)だと狙い過ぎな感じもするし、GIRO(スポーツ自転車のブランド)あたりがお洒落、とはいえ、キッズ用なので当然可愛らしい絵柄がプリントされている。

 

こうして息子に買い与えたヘルメットを

娘がお古として引継ぐワケだけれど、

ヘルメットの耐久年数というのは実際二年くらいで、ここを過ぎるとヘルメットとしてちゃんと仕事してくれないという話だ。

 

ついでに息子のヘルメットも新調する為に、子供達とオシャレ自転車屋へ赴くが、

bernのヘルメットには興味すら示さず、

息子はそもそも、以前僕が買い与えたGIROのヘルメットもあまり好きでは無い様子だった。

 

余りにも無関心で、試着すら困難な我が子達…。

店内をキャラキャラ騒いで走り回る彼らに一喝入れて、どうしたモノかと、とりあえず町外れのイオンへ。

 

イオンには、イオンバイク、という自転車屋があり、大衆的な自転車、グッズが揃う。

こだわりの強い僕には敬遠したい自転車屋ナンバーワンなワケだけれど、

キッズヘルメットの品揃いに関しては期待出来そうなので立ち寄ってしまった。

 

ディズニーやドラえもんといったキャラ物から、

クダンのbernまで、案外幅広い品揃え。

 

主体性のある娘は速攻でプリンセスなんとかのヘルメットを手に取り、あきれながらソレにする?とたずねると「うえ!うえのアンパンマン!」と。

しかしアンパンマンのヘルメットとしては中々センスの良い可愛らしい柄だし、何より安い。

息子はもぞもぞ迷って「新幹線。」と。

サイドにブルーとゴールドのラインが入り、後頭部にE17、とプリントされている。

…ホントにこれでいいの?

と聞くとウン!と嬉しそうなので、

まぁいいか、パパが被るワケでなし…。

と購入。その場で包装を剥がしてもらい、二人とも嬉しそうに被って帰った。

 

まだ不慣れに自転車をこぐ息子、後頭部の「E17」がなんともシュールで、可愛らしくてフッとなるけれど、

大人の思うカッコ良さを、子供が理解する必要などないハズなのだ。

 

僕は自分の満足の為に彼らの選択肢を減らしていたのではないだろうか。

 

娘を保育園へ連れていくと、ヘルメットをかぶったまま教員室へ入っていき

「みてー、へめるっと!へめるっと、ぼうしやさんでかったの!」

と、その後もお友達に自慢して歩いていた。

このルーティンをここ2日繰り返している。

 

何やらたいそう気に入ってもらえた様だ。

 

僕が彼らくらいの頃は、どうだっただろう。

 

ホントの良し悪しなんか分からない。ただあの頃は、

自分が選んだ物は宝物だった。

それが公園で偶然拾ったゴミでも、

母に赤ちゃんみたいと笑われた物でも。

 

宝物だったのだ。

自分で、選ぶ全ては。

 

「へめるっと♪、へめるっとだよ!」

 

娘はずっと上機嫌でヘルメットを被ってくれていて、あまりに無邪気で、僕は、ヘルメットだよ、と訂正しようと抱きあげて、やめた。

 

子供達が宝物を見つける度にきっと、

愛おしさは強くなる。

 

僕は、抱き上げた手でギュと娘を抱きしめた。

 

 

 

 

 

息子の卒園式

朝からシャツにアイロンしたり、ハンディカムの用意をしたり、バタバタとして保育園へ向かう。

 

もう五年も通っているので保育園のイベントの段取りは大体分かっているし、

今回は年長クラスの親御さんしか来ないのでそれ程混雑もしていない。

妻とどの位置からカメラがよく撮れそうかと相談しているウチに卒園式は始まる。

 

セオリー通りの挨拶があり、

卒園証書の授与を園長先生が行う。

ふと園長が声を詰まらせ、親御さん達も思わず涙を滲ませて、

僕はというと息子を撮り逃さないよう、そんな様子を静観しながら息子の登場を待つ。

 

上手い具合に息子の挨拶を撮影出来たけれど、他の子に比べやはり少し滑舌が悪いのが気になる。言葉については日々是正する事が大切らしい。

それにしても皆、ほんとに大きくなったな。

 

そして、滞りなく式を終え、最後、名前を呼ばれながら一人づつ退室していく。

僕はまた、撮り逃すまいとハンディカムを構える。

名前を呼ばれ、薄暗い発表室から正午の光射す廊下にスキップ気味で出て行く息子の背中は、少し大人びてファインダーに映った。その影を見て僕は、

 

「あっ、待って、行かないで…」

 

そんな言葉をふいに脳裏によぎらせて、

一歳の頃からずっと通った道、ハンカチを掛けるフック、迎えに行くと僕を見つけて飛びついてきた息子を思い出してしまった。

 

僕は泣いていた。

 

君を子乗せ自転車のカゴに乗せて出掛けるだけでも、僕はなんだか誇らしかった。親子ながらに相性が良いと思っていて、言葉もままならないでも何処か通じ合ってる気がしていた。

お調子者の君のおふざけを叱った時、皆が笑うからおふざけが好きだと言った優しい君を僕は誇らしく思った。

 

小さな手、何も言わなくても手を差し伸べれば握り返してくる、柔らかく小さな手。

 

…行かないでくれ、まだ。

 

廊下へ駆け出る息子の背中は少し大人びて、あぁ、僕は幼児の父を卒業するのだ。

 

そんな当たり前の事に今さら気が付き、

その尊さに胸を締め付けられる。

 

行かないで、

 

行かないで。

 

これからもきっと何度もそう思う僕を、息子はどんどん追い越していくのだろう。

 

いや、

「行ってこい。」そう強く背中を押せる強い父親に、僕もならなければいけないのだ。

 

でも、今夜だけは少し、

幼い君を思い出して涙したいと思う。

 

卒園、おめでとう。

厳しさとはなんだろう。

親父を睨みつけた事がある。

具体的な理由は憶えてないけれど、

親父に「親を睨むのか!」と怒鳴られた事は確かなので睨んでいたのだろう。

 

それが中学生の頃か、小学生か、いや幼少だったろうか、でも父はとにかく、グズグズする僕に厳しく叱った。グズグズした代償に僕の大切な物を捨てたりもした。

 

厳しくするとはどういう事だろう。

 

僕は良くも悪くも、歯に衣着せずに現実を目の当たりにさせる事が厳しさだと思っていて、そこからプラスに考えさせなければ、

仕事でも歯磨きでも、その人にとって誰かにやらされる「嫌な事」にしかならない。それは大人も子供も同じだと思っている。

 

仮にオモチャに夢中でいう事を聞かない子供に対し、オモチャを取り上げていう事を聞かせる、例えば、歯磨きさせる。よくあるシーンだと思う。でもそれでは歯磨きも嫌いになるし、親そのものを許せないと思うのは当然だ。

 

なぜなら例えば部下に対して、

今その仕事は必要ないだろ、と問答無用でPCの電源を落とす様なモノであるからだ。

 

その部下は、例えその結果にどんな正当性があっても、上司に対して不信感を持つ、場合によっては憎悪する事もあるのは想像に難くない。

 

 とはいえ、

 

トトロに夢中で寝室に向かわない、そんな息子をどうするか。

 

ママが寝室で息子に早く来いと怒っているが息子はテレビに夢中。これはそのうち妻に怒鳴られるヤツだ。

僕は、

「よし、じゃあサツキがメイちゃん見つけたトコで今日はお終いな?」

というと、猫バスが到着する五分はジッとテレビを見つめ、二人が抱き合ったシーンで、息子はすくっと立ち上がり、自分で停止ボタンを押してテレビを消した。

 

僕は奪わない。

 

息子から選択の権利を。

自分で選ぶという責任を。

選択の結果を考えて行動する事こそが人らしい生き方で、それを奪う事は分かりやすい話、パワハラだろう。

 

「ここでお終いね?」「次はこれをやるよ?」そういった導きは子供には必要だけれど、それを選択するのは本人であるべきだ。

 

息子は、ママを怒らせたくなかったのか、眠かったのかは分からない。

ただ今の自分にとって最善の選択を出来た事に満足してる様子である。

 

そこに関していえば、

大人も子供もない。

 

誰もが最善の選択をしたくて、

その結果に僅かでも酔いしれる事が出来たなら、その日はきっとその人にとって素晴らしい一日になるはずなのだ。

 

 

 

毒親の誕生

息子の同級生の女の子のお母さん、

女の子二人育ててるのですが上の子と全く合わなくて露骨に差別してしまうとか。

 

なんとなく、分かる。僕は息子が可愛くて仕方ない反面、苛立って仕方ない事が多々ある。娘にはない。

 

息子のダラりとしたマイペース加減や、いつまでもおふざけを続けたり、稚拙な理屈っぽさ。タイミング次第では本気でイラっとしてしまう。

娘に対しては、ない。

 

「二人目、男の子と女の子、どっちがいい?」妻に聞かれて僕は男の子と答えた。

女の子はなんだかメンドくさそうだし。単純にそう思ってたので、

娘が産まれて僕はその可愛らしさに感動した。その結果子供らがいる前でつい友人などにも、女の子がこんなに可愛いと思わなかった。

と言ってしまっている。

 

対して、息子には苛立つ事は多い。

それはやはり、僕に似てるからだろう。嫌な部分を直そうとしてるのに生き写しみたいにその部分を実践して見せる息子にイライラしないワケはない。

 

が、娘には当然、ない。

 

僕はきっと、

上手く二人を平等に愛せてないのかも知れない。

 

でも愛してる。

 

全く分け隔てなく。もう君たちが居ない人生はもう考えられない。

 

愛してるのに込み上げる息子への苛立ちは、きっと自分自身を愛せない僕の中にある。

 

僕は僕自身を肯定しなければいけないのだ。

今の僕が毒親だとしても、

僕はよじれたこの愛情を息子にまっすぐ届けたいと願う。

 

息子の同級生のお母さんも、きっとそうだろう。二人の娘、その長女、自身に似れば似るほど腹が立つだろう。でも、ホントにそんな悪い子だろうか?

先日その子も一緒に公園で遊んだが、持っていた手帳に僕の名前を書いてくれたり、慣れたら平気で甘えてくる。その様子は息子や他の子と何一つ変わらない純真な普通の子供だ。

 

子供がおかしいワケがない。

親がおかしいワケじゃない。

 

産まれ宿る魂の因果と言っていいかも知れない。単に二人の関係なんだろう。

 

 

あの日、

息子が産まれたばかりで、まだ困惑する僕の腕にうっすら目を開ける息子がスッポリと入っていて、妻が風呂を出るのをソファで待っていた。

 

小さな指が僕の小指に絡んで、

なぜか涙が滲み、

 

そのか弱いチカラにポソリと言った。

 

ずっと君の味方だよ。何があっても。

 

これから沢山、互いに誤解に誤解を招いて、大人になった君は僕と対等になり、それでもし、僕らの心が離れ離れになったとしても、

そこだけはアンフェアでいい。

 

僕はずっと、君の味方だ。

 

例え、信じてもらえなくても。

 

僕は君の味方だ。

 

 

 

 

たった独りで謝罪する六歳児。

家で仕事したくて少し早めに帰宅すると、玄関にオモチャがパンパンに入ったゴミ袋。そして、

なんだか妙に静まり返ったダイニングで息子と妻が食事している。

 

ん?なんかあった?と聞くと振り返った息子は泣き腫らした目に、また涙が滲みそう。

 

僕はすぐ彼の横に座り、どうした?ママに怒られたの?と聞くと頷きもせず僕の胸に頭を突っ込んできた。

 

パパ、これから書斎でお仕事するから、お話したくなったらおいで?

 

そう言って、僕は書斎で仕事を始める。

1時間も待たないウチに気配を感じて振り返るとモジモジとした息子が立っていた。

 

おいで。

 

そういって膝に乗せた息子は、少ない語彙で自分の罪を打ち明ける。

 

要は、オモチャをすぐ片付けられずに、ママに怒られて全てのオモチャを棄てられそうになったらしい。

 

そのママの剣幕やたるや、想像に難くない。

 

そっか、次はお片付け出来るだろ?と聞くとウン、という。

続けて、

でも大好きな人にそんな風に怒られたら辛いね、分かるよ。パパも耐えられないと思う。…一緒にママに謝りにいこう?

 

僕がそういうと、頷いてからまた首を振り、

 

「僕が1人で謝りに行ってみる。」

 

と。

そ、そうか、分かった。じゃパパは後ろからついていくわな。

 

彼は一人、キッチンへ向かい、

「ママっ、さっきはちゃんとお片づけ出来なくてゴメンナサイ。」と。

当然妻はそれを許すワケだけれど、

僕は何より彼が「独りで行く」と言った事を評価したい。

 

大した責任感だ。

 

妻の許しを得て週末オモチャの整理をパパと二人でやる事になったワケだけど、

一番切羽詰まった時に「自分で行く」

という気質は危険かも知れないけど、なんだか男親としては芯の太さを感じて、

 

君は男の子なんだな、と抱きしめた。

 

男らしさを否定する人も中にはいるだろう。それが先天的か後天的か、

どっちにしてもこの歳で自身の責任を自身で償おうとする彼に、

 

僕が願う未来への期待は、無謀では無いと思ってしまうのだ。