川崎病その6
娘の指の皮がめくれてきた。
それが川崎病が治り出した合図という事らしく、指先の薄皮が日焼け跡の様にめくれる。特に痛みもないらしい。
主治医の先生はやたら娘を頑張った、強い子だと褒めてくれて、あんなに怖がっていた娘も、今となってはマンザラでもない様子。
二度目のエコー検査。
やはり今回もとんぷくは飲まず、
代わりに息子がついてきた。
先生方は困惑していたが、
時折震える娘の手を息子が握ると、
ウソ見たいに落ち着いて、これには先生方も驚いたし、僕も正直驚いた。
子供同士のシンパシーというか、
兄妹ならではの信頼関係があるのかも知れない。
朝の血液検査の結果も良好、
先生はハッキリと言わないが、
やっと退院が見えてきた。
それにしても、娘が元気だ。
ツイッターでも御子息が川崎病になった時、熱が下がってからの子供の退屈の処理が大変だった、というコメントを貰った。身体を動かさないので、DVDを観てるだけでは苛々も募るようだ。
散歩と称して病棟を練り歩く。
同じフロアーを出る事はまだ許されないが、病室の部屋番号が書かれた液晶はセンサーが付いており、前を通るとパッと部屋番号と花や果物のイラストが表示されるので、それを見て回る。
次は何かな〜、と言いながら液晶を反応させて遊ぶ。
あ、チューリップだねー、次のお部屋は君が最初に入った個室だね。何のお花かな?
液晶には辛い記憶の部屋番号と桜の花が表示された。
あ、サクラだね、サクラは君の花だよ。
君が産まれた時、ママは病室の窓から綺麗に咲いた桜の木をずっと見てたんだって。
そこに集まるお日様の光が優しくて君の名前を思い付いたんだって。
そう言うと、
「あたしのお花ー!」
と娘が叫ぶ。
僕も話しながら思い出す。
あの春の日。
病室の窓を通る日差しに照らされた妻の笑顔はまるで陽だまりのようで、
僕に娘の名前を考えたとそっと教えてくれた。
それは優しく明るく、そこに人の集まるような、
そんな名前だと思った。
看護師さんが僕の腕の中にふわりと渡した産まれたばかりの娘は、息子と同じ顔、だけどどうにも気は強そうだ。
反して、ふにふにとした身体。
ただ、守りたいと思った。
あの日から、
僕は守れているだろうか。
注射針で傷付いた娘の腕。ぷくぷくの幼児の手の甲に残る点滴の跡。
守るってなんだろう。
今のところ、側にいてベタベタするくらいしか僕には出来ないのかも知れない。
同じ病棟のお爺さんが、
「おー、お父さん、抱っこばっかりさせられて大変やな、ほら、アンタ(娘)もちょっと歩きなさいや笑。いやぁ、パパっ子ですな笑。」と話しかけてきて、
あ、どうも、と挨拶し、
僕が深刻になって治るものでもないしな、と娘を抱き直そうとすると、
腕をすり抜けテーッと部屋まで走って行ってしまった。
その日の夜も娘にベッドで蹴り回されて眠るが、かれこれ50時間程時間を共にして感じるのは、
僕は今までどれだけ彼女の事を見落として来たのだろうという事だ。
いつもの笑顔、イジワルな笑顔、新しい仕草、言葉、彼女らしさの原石。
日々の喧騒に追われ、本当に守るべき物を見落としていたのかも知れない。
この気付きがあっただけでも、
入院して得る物があったと僕は思いたい。