40代管理職、父になる。

6歳男児.2歳女児、共働きの父。趣味は自転車。

テレビマガジンが欲しい!とネダられて。

「テレビマガジン(児童向け雑誌)が欲しい」と息子に、ここ数日ねだられていた。

 

子供向けの雑誌なのに千円もする、というのもあるけど、我慢させる事も学ばせないといけない。そこで妻は、ソロバンのワークを全部終わらせたら買ってあげると言うが、

ご褒美の為に頑張らせる教育もあまり良くないと聞くので、これはどうしたモンかなと。

 

それならと、一計を案ずる。

 

スイミングスクールの後、しつこくネダってくる息子の頭を拭きながら僕は、

 

じゃあ、君が何でその雑誌が欲しくて、どんな風に楽しい雑誌で、それでどんな風に遊ぶのか、パパに教えてよ。

それをパパが聞いて「それはイイね!」

と思ったら、買ってあげるよ。

 

そう伝えてスイミングスクールを後にした。

そこから20分程自転車で移動し、

行きつけの酒屋のカフェスペースで、

息子と向かい合い、ソファにどっかと座って、コーヒーを片手に、

さぁ聞かせてもらおうか…と。

「え、えーと、オモチャが付いてくるんだけど」

ん?何ていう本に?

「あ、テレビマガジン2月号っていって、それについてくるオモチャが(略)」

なるほど、時計にもなって仮面ライダーごっこも出来るのか。それで?

「それで、どんな風に遊ぶかっていうと、僕はその時計をして自分で考えたライダーになって遊びたい。」

 

…思わず舌を巻いた。ちゃんとプレゼン出来た事も良いと思ったし「自分で考えたライダー」のくだりに、手前味噌かも知れないが、僕は感動した。

 

うん、良く分かったよ。

楽しそうだね、買って帰ろう。

 

そういうと息子も満足そうだったし、

買って渡す時僕は、コレは強請(ねだ)られて買ったんじゃないな、と妙に納得出来た。

 

教育としてはどうなんだろうか。

何が正解かは僕には分からないが、本来は与える事に悩む必要などないと思うし興味がある物、欲しい物は何でも与えるべきだろう。

しかし現実そうもいかないので「我慢」

させるしかない。

その中で、苦肉の策でしかないのかも知れないけれど、今回のプレゼンで息子の成長を感じ取る事が出来た。

 

何より、自分の感情を言葉に変える事は彼の人生でとても大切な事だと僕は思うのだ。

 

食洗機への愛を語る

このツイートがゆるバズりしてしまい、

そのRT先のコメントを見ると多くの方々が食洗機への感謝の想いを熱く語っていて、反面、有るのに上手く機能してない、検討中、中には手洗いで十分との方も。

 

さて、導入する事に否定的な人、または有っても使えない、と思ってる人の言い分として、

①ちゃんと洗えない

②予洗いがメンドくさい

③自分でやる方が速い。

④置き場がない。

 

ざっとこんな感じだと思うので、ひとつずつ解答していきたい。

読み終わったあなたは、

きっと明日家電屋へ走る事になると信じている。

 

①ちゃんと洗えない

恐らく食器のセットの仕方が問題だと思われる。僕も未だにやってしまうのはお椀状の食器のセットが甘く、洗浄中に上を向いてしまう、というパターン。終了後はお椀に洗浄水が波波と注がれている。とにかく説明書をしっかり読んでいただきたい。

洗剤についてはお好みで良いかと思う。

それでも洗えない方は、思い切って買い換えを検討するのも手だし、先のツイートのリプの話では15年前は冷水を使っていた機種もあるらしく、それはもう買い換え一択。

それでも落ちないベトツキとなると、いったいどんなワイルドな料理を食べたのだろうと考えてしまう…。

 

②予洗い

予洗いは、皿の残り物を流す、というのが目的で、皿を洗う、というのは違う。なので、食洗機に入れる前にサッと水通しする程度で良い。落ちるか不安な脂ぎったソースなどは軽くでもスポンジで擦った方が無難だが、あえて言おう、余程で無ければ必要ない。とにかく食べ残しだけ流す、で良いと思う。慣れればさほど手を濡らす事もないし、僕の家庭で言えばスポンジを使って予洗いする事はまず無い。

 

③スピード勝負

まず食洗機のスタートと同時にタイムを計ろうとする人は、スタートラインを勘違いしている。スタートボタンを押すまでに洗い物が終わって拭き取りも概ね終わるのなら、あなたの勝ちだろう。

要は「自分が洗い物に使う時間の速さ」

が大切であって、食洗機がスタートして洗い終わるまでの時間なんてどうでも良いのである。そうなると食洗機が圧勝なのは間違いないだろう。

 

④置き場がない。

これについては多くのブログなどを参考にしていただきたいのだが、

最悪シンクの三分の一程のスペースを食洗機が占領しても問題ない。実際に置いてみて、いかに今まで洗い物がそのスペースを占有していたかに気がつくのだ。

ちなみにパナソニックは日本家屋の台所 事情を知った上で設計しているので、旧来のマンションのキッチンの規格でも置ける様試行錯誤している。その結果メーカー製の専用台もあるが中々のお値段。しかしホームセンターのスチールラック等で金ノコ使って簡単にハンドメイド出来るので、ここはお父さん出番です。

 

⑤まとめ

僕が一番オススメしたい理由として、

食洗機は「人の代わり」でなく、

「人がやる以上」の結果を出す、これだ。

まず高温のお湯でシャワー洗浄するので、熱に強い陶器であれば食器には優しいし、何より衛生的だ。

人の手で80度のお湯で食器を洗うのは流石に無謀としか思えない。

しかも、

温風ヒーターで乾燥までしてくれる。

衛生面ではもちろん、食洗機が終われば残り雫を拭き取る程度でそのまま食器棚に片付けられる。食器洗いは洗うだけで終わるわけでない、その片付けまでを終わらせて、食器洗いといえるのではないだろうか。

 

たまに、専業家庭や老夫婦で時間もあるので必要無い、などと言ってしまう人がいる。しかし、

「人の力を超えて洗浄」出来る能力はそれだけでも導入する理由になるし、

何より人の時間は有限だ。

食洗機=もったいない、

と考える人は何なのか。まさか食洗機より自身が衛生的かつ素早く食器洗いを終わらせられるつもりなのだろうか。

 

突き詰めれば、人は時間を捻出する事そのものが次のステップへ進む礎であり目標となり得る。

 

もう、全ての家庭で、

食器洗いに手をカサカサにしながら食後の余韻を楽しめず時間を浪費する、そんな時代は終わりを告げようとしているのだ。

 

 

ベランダのバルキリー。

小3くらいの頃か。

僕はその日、プラモデルを完成させた。

「VF1-Jバトロイドバルキリー」。

カッコいい。自分で組み立てればカッコ良さもひとしおと言うものだ。

 

立ち姿が良い。惚れ惚れして部屋の至る所に立たせてみる。

…やはり良い。

僕は我慢出来ずに、バルキリーをベランダへ持ち出した。

当時社宅の五階に住んでいたので、置く場所次第では空をバックにしてまた映える事だろう。

しかしこうなると当然、ベランダの淵へ置きたくなる。落ちるかも知れないが、夕陽を背にガンポッドを構えるその姿を思えば、僕はもう置かないワケにはいかなくて、ベランダ柵の上にバルキリーをそっと立たせた。

 

落ちた。

 

真っ逆さまだ。

 

僕は息を呑んだ。

声も出なかったその脳裏には

「やっぱりな」

という言葉がチラリと覗き見えたけれど、

色んな後悔と共に僕は救出に走り出した。

台所で炊事する母の背に、

バルキリー落ちたから取ってくる!と叫ぶと母が

「あらあら可哀想に」と言った、その言葉をなんとなく胸で反芻しながら僕は階段を駆け下りた。

 

植込みに突き刺さったバルキリーは幸いにも脚を折るだけの軽傷(普通に壊れてる)で、

ウチに持って入り、すぐに治そうと試みるけど股関節って中々上手く治らない。

あくせくしながら、なんだか僕はバルキリーに「ゴメンね」という気持ちが湧いてきた。

せめて立たせてやる、という思い一つで結局関節をベタ着けして一応、治った。

 

プラモデルや人形がまるで生きてるかの様に「可哀想」「喜んでるよ」とその感情を親が肩代わりして語る事は少なくない。

 

優しさは持って生まれる気質だけでなく、こういった情操教育が必要なのじゃないかな、と思う。

 

相手は人形だから見返りも反応もない。

だから、自分がされて辛い事を基準に相手の「可哀想」を考えていく。

そうやって自分を知り、やがて自分という基準をもって他人との違いに気が付いていく。

それを僕は思いやりと呼んでいいと思う。

 

僕の思いやりはバルキリーを救わなかったけれど、

バルキリーは僕に優しくする事を教えてくれたと、

今もマクロスを観て、ふと思い出す事がある。

 

 

 

砂漠(お砂場)の攻防

子供らを公園へ連れていくと、

六歳の息子はママゴトかブランコ、

三歳になる娘は滑り台と、お砂場もお気に入り。

 

お砂場は、僕には鬼門だ。

持参の道具の有無で遊び方が変わるので、

見知らぬお友達との「かーしてー」「いーいーよー」のやり取りが必ずある。これが親の僕からすれば煩わしい。

こちらが用意していれば貸してと言われ我が子が嫌だと思っていれば理不尽な気もするし、もちろんこちらが借りる立場となればその逆なので、親御さんに申し訳ない。

 

そして今日、買い物の途中とあってあまり来ないアウェーな公園。娘はお構いもなく砂場へ。

 

先に陣取るのは、四歳、二歳くらいの男児兄弟二人。得物は、バケツに入ったシャベルなど一式と、ポリ製の紐付きダンプだ。

対して、

こちらは完全な丸腰。

もちろん娘、速攻で二歳の子に「かーしてー」と。すると二歳の子が「いやっ!」と自己主張。四歳の兄は「ダンプは誰にも貸さないよ!」と。

孤立した娘はお砂場の周りを周り出す。すると息子が砂場に登場。

「ダメだよ、ちゃんと貸してっていわなきゃ!」と娘に軽く言付け、自分で兄弟に交渉を挑むも決裂。

砂場サイドにいらっしゃる親御さんもオロオロ。僕は様子を伺う。

 

こういうパターンはあまり無い。

さぁ、息子、どうする?

 

すると息子は「ブランコ行こ!」と言い出すので、まぁ退散するのは悪くない選択だが娘はまだ砂場で遊びたそうだし、ここで出ていけば、あの兄弟に追い出された感じになる。それは親御さんも当然望まないだろう。

 

よし、出番だ。

 

僕は砂場に入り袖をまくった。

娘に、じゃパパと遊ぼう。ほらオニギリ作ろうか、と昨夜の雨で湿り切った砂を握ると娘も大喜び。じゃ、次はケーキ作ろう。僕が砂を集め出すと、四歳児のお兄ちゃん、足で砂場に線を引き二分し始め「ここから入ってこないで!」と。

 

ほほう、なかなかの縄張り意識。

親御さんは止めに入るけれど、あー、全然いいですよー。と。

砂で作ったケーキ。よしローソク立てるぞー、と息子と娘に小枝を探させる。

すると、その兄弟の長男君、シャベルで砂を持ってきて「砂ならあげる」と。

あぁ、ありがとう。

じゃ次はそうだな、オジサンの顔描くよ。

ほら、口は枝で、目は落ち葉だな、誰か持ってきてよ!

僕が言うと息子は嬉しそうに葉っぱを置く。娘はわっさりと枯葉を落とす。

それを見て息子は妹に「あーっお髭〜!」と爆笑。そのウチ例の長男君、「これ髪の毛にしたら?」とナイロン袋を持ってくる。ん、いいね。よし、こんな感じだなー。

おっ、君、カッコいいダンプ持ってるね、じゃあ道作って走らせようか。

と僕が言うと息子が枝で線を引き始める。砂場をグルリと、僕と息子で線を引き、その道を長男君がダンプの紐を引いてを走らせる。

娘と次男君はキャッキャとその後を追ってくる。

一回りしてダンプが横転して、

僕らは皆声を出して笑った。

オロオロ様子を見てた彼のお父さんも、コース内に深い溝を掘り出して、障害物を作る。砂場の雰囲気が変わりだす。

子供らは自己紹介なんかもしたりして。

 

気付くと長男君が、シャベルの沢山入ったバケツを持ってきて「貸してあげる」と。

それを当たり前みたいに掴む息子に僕は、

ちゃんと貸して、と言いなさい、と叱ると長男君が「いいよ別に」と言うので、君が大切なモノは大切にしたらいいんだよ。無くしたら悲しいだろ?と

なんだか上手いこと大人な言葉が出た。

 

あ、もうそろそろ時間だな、

いくよ、バイバイしなさい。

 

そこで初めて僕は親御さんと目を合わせ会釈すると、やたら深々とお礼されて、なんだか申し訳なく感じた。

 

僕は楽しかっただけなんだ。

 

新しい出会いに人は壁を作る。

それは当たり前だけどお互いに気になって少しづつ、打ち解けあう。

 

大人同士なら、何日掛かるだろう。

もしかしたら奇跡かも知れない。

 

子供に混ぜてもらったんだ、僕は。

子供の頃にしかないこの、マイナスからプラスへのあっという間の変化を体感させてもらった。それは、

今まで砂場の横で見守るだけの父から、

この手で砂を握る事で、一歩踏み込めたからだろう。

 

あのお父さんも、一生懸命、谷を掘ってたな笑。きっと、同じ気持ちを味わってくれただろうか。

 

夕暮れに向かう冬の乾いた空の下を、

なんとも温かい気持ちで、子供らを載せた自転車を、僕は漕ぎ出した。

 

 

正月の雑記。

正月の帰省から戻って、急に成長したのか、とにかく、三歳を前にした娘がヤンチャで、可愛くて、娘の事ばかりだ。

 

ワリと聞き分けの良い長男に僕はずいぶん助けられていてるからなのだけど。

 

息子はもう六歳。

それでも今朝は軽くダダをこねるので、ほら、パパ昨日のウチに君のシャツ、アイロンしといたよ、ピカピカだろ?

というと喜んで袖を通してくれた。

 

ホントは、僕と妻が4日から仕事で、その罪悪感みたいな物だったのかも知れない。それで僕はアイロンなんて、普段掛けないのに。

 

今朝は娘を妻に任せ、息子だけを登園させるのが僕の仕事で、いつもの様に家を出る。

 

寒い。

 

風が冷たくて、凍える息子を覆う様に二人で横断歩道を走った。

段差に軽く躓く息子。

あっ、

と手を出そうとしたら、軽く飛び越えてしまった。

 

得意げな息子の頭に、よかった、と僕はその頭にポンと手を置いた。

 

手を置いて、

 

あれ、こんなに背、高かったっけ…。

 

先生に新年の挨拶をして、

僕は自転車を取りに行く。

 

こんな風に、きっと「あれ?」を繰り返してまた過ごしていくのだろう。

 

こんな風に。

 

あれ?と思いながら、

あの日の君を追い掛ける。

 

あの日、君はあの段差で何度も躓いた。

あの日、君はあの街灯が気になって仕方なくて、

あの日、君は僕のサドルに乗ってハシャいで、

いつも、君は僕の手を握って。

その手はいつも小さく、柔らかく。

 

ほんの少し目を離せば、

もう二度と会えない君がいる。

 

少しセンチメンタル過ぎるだろうか。

でもね、分かっていても、

目を離してしまうんだよ。

 

そして、君はだんだん僕の手を

離れ、大人になって行く。

 

もうすぐ終わる。毎朝の、

当たり前の、慌ただしい出発。

 

それでもそれ程変わらない街並みは、

僕達の全てを覚えていてくれるようで、

きっと春になれば、

息子の通わなくなった保育園の前を通る度、僕は何度も、何度もそこから思い出を引き出してしまいそうだ。

 

もしそれで僕が急に泣き出したら、

君に笑い飛ばして欲しい。

 

リアルネネちゃん。

娘が保育園の一つ二つ上のお姉ちゃん達に異様な人気だ。

 

朝保育室へ連れて行くと数人がその名を叫びながら抱き付いてきて熱狂する様は、まるでアイドルのそれで、親の僕としては「まぁ、娘は可愛いからな…」と天狗になる次第。

 

そんな娘もボチボチ三歳になる。ジイジからクリスマスに何を買おうかと相談されたので、最近よくヌイグルミのお世話をしてるので、お世話人形などどうかと。

 

メルちゃんである。

 

正確には、メルちゃんの妹、

ネネちゃんだ。

 

箱を開ければ予想通りの食い付き。

女の子というのは、やはりお世話が好きなのだろうか…。

しかし息子も一緒になって遊んでるので、一概には言えないのだろうけれど。

 

とにかく、ネネちゃんはイケている。

寝かせば瞼を閉じ、入浴可能な水陸両用仕様、加えて熱で変色する頭髪。

なにより、

クリクリの目。豊かに膨らむホッペに押し寄せられた小さな唇。そしてまん丸の顔。

 

さっさく僕は子供らをネネちゃんで誘導して風呂に入る。

ネネちゃんの足首を掴んで振り回す乱暴な娘だけれど、時に甲斐甲斐しく相手する娘を見て息子が、堪え切れないと言った様子で笑いだした。

 

「妹に似てる笑」

 

あ、ホントだね笑、と、僕も一緒に笑いだす。見れば見る程、なんなら体型も似ているので、どんどんジワって息子とクスクス風呂場を出た。

 

そして子供らの頭をバスタオルでゴシゴシとやりながら、

大事そうにネネちゃんを抱きしめる娘をみて、やはりこの手のオモチャは母性本能に働きかけてるようにも見えるし、

母性本能で無いとしても、

とにかく女の子はママの真似をしたがるモノなのかも知れないと。

 

人形相手に「おむつ替える?ミルク飲みましょうね〜?」とやってる様子は、ママの見様見真似な事は間違いないし、勘違いしてはいけないのは、家事育児を父親がメインでやっていても、娘はパパの真似をしない、という事だろう。

 

ママが育児を全くせず父がその全てをやっているとしたら、

娘にとって育児は男のやる物だと刷り込まれる可能性が高い。それは、

子を持つとしたら自身が産むという選択になる女性にとって幸せな事なのだろうか。

 

まぁとにかく、

娘の通う保育園でもお姉ちゃん達は年下の子らを甲斐甲斐しく相手して、

特にウチの子は、

 

クリクリの目に豊かな頬、

球状の輪郭におちょぼ口

 

まさか、

彼女らにとって娘は、

 

…リアルねねちゃんなのでは…

 

 

 

 

 

暴力的甥に呪いをかける。

姉貴は昔から、優等生だがすぐ手が出る。

そんな姉が年の瀬、小6の一人息子と一緒に旦那を置いて帰省。

旦那さんは優しい人だけれど、それ故あまり息子を注意せず、姉貴は溺愛する反面、言う事を聞かない息子をすぐビンタしていたようだ。

そして息子が小6となった今は、息子が姉貴に手を上げる様になり、

昨夜も息子を辱める様なジョークを言おうとした姉貴の口をビンタで封じて、当然殴り合いの喧嘩になる。

 

見かねて僕は甥っ子に、暴力はダメだよ、と言うと「だってママがいつも先に殴ってくるから」というし、それに対して姉貴は「あなた(甥)が言う事聞かないからでしょ!」と。

 

わかった、わかった。

とりあえず二人とも2019年暴力禁止、先に手を上げた方が負けな。

 

と言っても不服と言わんばかりの姉貴。甥っ子も泣きながらまだ何やら訴えてる。そもそも二人の話だから僕が入ってく事でないのかも知れないけれど、やはり僕は甥っ子に、

 

いいかい、相手がママでも男が女に手を上げるのは絶対にダメだよ。

君はもっと身体が大きくなる。力も強くなってそんな気なくても、君がママを殴るとママが倒れてそのまま立ち上がってこないかも知れないんだよ。それでもいいかい?

すると甥っ子、今度は姉貴の太ましい二の腕に顔を擦り付けイヤイヤと。

 

ホントに甘えん坊だな、と心中にため息しながら僕は、クドクド続ける。

 

あのね、本当に強ければ暴力は振るわなくていいの。

叔父さん(僕)は格闘技やってたからさ、殴り合いになれば普通の人よりは強いけれど、殴り倒していう事聞かせるのは正しいかい?

それで殴られた人は楽しくいう事聞けるかな?

 

だから本当に暴力はくだらないと叔父さんは思うんだよ。男の力は守る為にある。少なくとも守るべき人を傷付ける為じゃない。

 

主張があるなら、ちゃんと言葉を駆使して伝える事が大切なんだよ。

 

そう伝えながら、

話がくどいかなー、と思い彼の目をみると、ちゃんと聞いてる様で、僕はそれが嬉しかった。

 

もしかすると、こんな説教も僕の自己満かも知れないし、

最近良く聞く「呪い」をかけてしまったのかも知れない。

でも僕はそれで良いと思う。

 

男なんだから。

男だから。

 

暴力を振るっちゃいけない。

 

男女平等じゃなくていい。

男の僕は男である事の野蛮さも知っている。それをコントロールする事を教えるのが父性だと信じている。

 

叔父が掛けた「男らしさの呪い」が、

彼の暴力のほんの少しでも足枷になれば良いと願うのだ。