子育てにおけるゾーニングとは。
ゾーニングなんて言うとフェミニストみたいなイメージありますが笑。
さて、ゾーニングとはワケ隔てるという事で、例えば18禁のビデオのエリア、あれはゾーニングといえますね。
単純にジャンル分けして、有害図書やR指定等を外す事になんの疑念もないのですが、少し前に話題になった、
「ラノベのどエロい表紙を見た娘が「気持ち悪い」と発言した件」です。
これに対してはゾーニングしろとか、性的搾取だとかツイッターでは盛り上がってましたが、それこそ僕は子供の感性を完全に無視していると感じたのです。
少女がそれを「気持ち悪い」と感じた事が最も大切で、これがもし「パパこれ何?」という年齢であればゾーニングも良いでしょう。
「気持ち悪い」という事は何らかの印象を抱いているワケで、これをゾーニングするというのは娘が小石に躓いたら「誰だ!こんな所に石をおきやがって…」
と石か石を置いた誰かにキレてるのと同じです。
もう分かる歳の子になら、なぜ君が躓いたのか、思わぬ危険にどう対処すべきか、いずれ1人で歩く子供にそれを教えるべきでしょう。
気持ち悪いなり可愛らしいなり、何か感想を持ってる娘に「こんな物みるな!」
ではなく、こういう世界もある、君が嫌な物を望む人もいる。と、
クソメンドくさい説明をするべきで、
それは確かにメンドくさいのでゾーニングしたい気持ちも分かります。
でもそれこそが情操教育なのかも知れないし、子供の事を理解するキッカケになると思います。
僕が7つの頃、「バイクってカッコいい」とポロリと呟いたら、父が
「そうか、父さんはあまり好きじゃないな、コケたら大怪我するだろ?」と言っていて、その言葉で僕はバイクは良くない物だと一瞬で決め込んだ。
父の言葉は絶対的な説得力があった。
それは単に、僕が当時、父親が大好きだったからで、好きな人の嫌いな物は嫌いという、簡単な心理だ。
そして子を大切に思う親御さんはもっと自身の言葉の力を信じて良いと思う。
ゾーニングして汚い物に蓋をしないで、
メンドくさくても僕は子供達にそれが何なのか、タイミングがどうしても早い物については、
君がもう少し大きくなったら、ちゃんと説明するね?と伝えたい。
僕はこれが絆だと思う。
そして、
親父が母と出逢って初めてデートした時、
バイクでタンデム(二人乗り)してたと聞いたのは確か高校生の時だったかなぁ…笑。
サンタになる。
今年は都合、23日にサンタになる親御さんも多いと思う。
ウチも当然そうで、昨日のウチにアマゾンで注文した品物をアンエイで買った包装用紙で包んである。もちろん、手書きの手紙付きだ。
プレゼントは結局、息子の望むドローンは妻により却下、知育玩具に。娘はお買物ゴッコにハマってるので、お店セット的なオモチャを。
喜んでくれるだろうか不安だ。
僕は学生の頃オモチャ屋で一年近くバイトしていたので、包装は余裕で
失敗した。
ぜんっぜん上手く出来なくて、紙はクシャクシャ、僕は汗だくでニットを脱ぎ払い必死で梱包。リボン付けときゃどうにか見栄えするだろう。
さて、後は納屋に隠して、と。
そういえば先日姉から連絡があり、帰省のタイミングで義兄さんが僕と飲みたいと言ってくれてるらしいのだけれど、24日に家を空ける事に甥っ子が「サンタさんを待ってないとマズイでしょ」と言ってるらしい。
実は、姉の家庭では昔からサンタの訪問サービスを利用しているので、甥っ子においてはマジサンタ実在する!となっていて、とはいえ小6にもなってサンタを信じてるワケもなく、彼にとって、
サンタは単なる運び屋、その昔は煙突から来ていたとしても。
という解釈なのだと思う。多分。
かく言う僕も2年前、息子のクラスの子供達とのクリスマスパーティーでサンタ役を演じた。
三歳と言う事でほぼ皆100%信じてたけれど、流石に息子は気が付いて、その様子に僕が秘密だよ、とウィンクすると、
「パパのシャンタしゃん…」と照れ臭そうに笑っていた。
後で、パパはサンタさんに頼まれたんだよ、彼は忙しいからね、と説明すると鵜呑みにしていてホッとしたが、
そもそもなんでこんな面倒臭い嘘をつかないといけないのか。
そんな疑念も、
後ろめたさも、
明日の朝、僕のクチャクチャな包装用紙を躊躇いもなく剥ぎ取って喜ぶ姿に、きっと全部吹き飛んでしまうだろう。
パパはね、君たちが何を貰ったか、そんな事を覚えていて欲しいとは思わない。
パパはね、君たちが笑う、笑ってくれる、その瞬間を宝物みたいに思うんだよ。
遠い未来、そんなパパ達の事を君が笑ってもいい。
でも忘れないでくれ、
君たちがパパの宝物だった事を。
そんな親の想いが、夜空を駆け巡る。
僕はクリスマスが大好きだ。
どうか今年も多くの子供達に、
優しいエゴが降り注ぎますように。
メリークリスマス。
子供の人種差別。
今日は午後から息子のクラスの子達とクリスマスパーティーで、その中に天使みたいなハーフの女の子がいるのだけれど、懐いてくれた上、娘や小さい子にもすごく優しくて、
帰宅後、あの子は優しいね、と息子に話すと「〇〇ちゃん外国の人みたいな顔だよね」と言うので、あの子のパパが西洋人だからね、と言うと「えーっ?!」と戯けてみせた。
でもね、本人にその事をあまり言ってはダメだよ。ほとんどのパパとママは日本人でしょ?人とちょっと違う事を彼女は気にしてるかも知れない。
まぁ、パパなら自慢するけどね。
君もこないだ皆んなと違う靴下履いて行っただろ?どうだった?
と聞くと、
「みんなに聞かれたけどちゃんと説明したし、なんか楽しかった」
というので、自分の遺伝子に呆れながら、
あのね、パパも人と違うのは嬉しい事だと思うのだけれど、人と違って悲しいと思う人もいるんだよ。
あの子がどう思ってるかパパにも君にも分からないけれど、だとしたら言わない方がいいよね。そして、君は彼女をどう思う?
「かわいい(照」
だろ?笑
その感じ方が大切なんだよ。そう思ってるならきっと彼女も周りと違う事を嬉しく思えるんじゃないかな。
そういうと、照れ臭そうに笑っていたので、多分まったく理解していない笑。
息子にはまだ言えなかったけれど、
昔々、世界の壁は高く、異国の人と恋に落ちる確率なんて天文学的だったはずだ。
それがもう、今や当たり前の様にここにあり、
その結晶とこうして触れ合っている。
世の中まだまだ課題問題で溢れてるとは言え、
より良い世界に歩み寄っている、
彼らの未来は思うより明るいと信じてしまうのだ。
クリスマスに自転車を。
恐らくクリスマスに自転車をプレゼントしたい親御さんは少なくないと思い、
ここに記します。
2年前、息子4歳のクリスマス。
モヤっと自転車が欲しいと、息子が洩らした一言を聞き逃さず、じゃあサンタさんに手紙書こっ!と、自転車のイラストを一緒に描いた手紙をツリーに刺した。
そして届いた14インチのBMX。
定価36000円なり。
ストライダーもパタパタ乗る程度の息子には立派過ぎるのでは、との妻の意見を押し切って、半分以上僕の趣味で自転車を選んだ。
補助輪を使うと自転車の楽しさがわからない、という話をネット見て、そういうモノかと補助輪はナシで購入。
サンタが来た朝は、それはもう息子は嬉しそうだったけれど、跨らせるだけで怖がる。しばらくはずっと息子のハンドルを後ろから握り、腰痛と戦いながら息子の補助輪代わりをやっていると三ヶ月もしないウチに、
僕の補助無しで走れる様になった。
嬉しくて舞い上がった僕だけれど、
翌日ふと、
…よく考えたら自転車乗るだけなら、別に普通の事なんだよなぁ…
なんて考えていて、
それから二週間ぶりに息子と自転車を持って公園へ行くと、
「グラグラして怖いっ!」
と全く乗れなくなって、その後一年程乗ったり乗れなかったりを繰り返し、
一度は自転車を嫌いになりかけた。
僕から見たら出来るのにやらない息子に、イライラして酷く怒った事も何度かあった。
そしてある日、近所の小2のお兄ちゃんと一緒に練習させては?と妻からの提案。確かに、
一度だけ同じ組の子が偶然自転車で公園に来た際、あの時はポツリと「楽しい…」と呟いてたな、と思い出した。
そもそも自転車好きなら誰でも分かる「誰かと走る楽しさ」を僕はスッカリ見落としていた。
小2のお兄ちゃんが、スタートの苦手な息子に教える様子を見ていると、
どうやら子供は皆んなココで躓く様で、
「スタート怖いやろ〜?だから、1、2の3!で行くねん!」とお兄ちゃん。
息子、
「いち、にの、さーんっ!」って上手くペダルに足を乗せる。
ちょっと笑ってしまったが、凄い。
なんだろう、子供同士のシンパシーみたいなのがあるんだろうか。
その日から突然普通に自転車に乗れる様になり、先日ついに公道デビュー。
でも以前、
息子が怖くて乗れない時、僕はずいぶん厳しく叱った。
いいか、恐怖心を払拭しろ!
「ふっしょくってなに…?」と言いながら夕焼けの中をキコキコこぐ息子。やがて日が沈み、それでも彼は練習をやめなかった。
その日の夜、僕は風呂場で彼の頭をワシワシ洗いながら話しかける。
厳しくしたけど、パパは夢があってね。
「なに?」
パパ、君と一緒に自転車で走るのが夢なんだよ。もし君が上手く乗れる様になったら、パパと一緒に走ってくれるかな?
そう聞くと、笑顔で
「いいよ!」
と答えてくれた。
今ようやく、数キロの距離を一緒に走れる様になった。
貪欲な僕の夢はまだまだ続く。
パパが60過ぎた頃、君は10代の若者だ。
一緒に厳しい峠を登り、その頂上で息を切らしながらハイタッチしよう。
その頃には、
僕が着いてく方が難しいかも知れないけれど。
僕らの時間
僕は管理職ですし、アルバイトやパートの方も管理させて頂いてます。その中で、
やたら早く出勤される方も多く、早めに来てユックリされるのは結構なのですがその日の自分の仕事の為に時間外で出勤される事を全く望みません。
アナタの時間とはなんですか?
当たり前に、健康に迎えられる時間が当然だとお考えでしょうか。
もしアナタがアルバイトの様に時間を切り売りしてるなら絶対にしてはいけない事です。ましてや、
家族があるなら。
企業にとってアナタの変わりを作る事は難しいかも知れませんが、その責任はアナタにはない。人はいつ居なくなってもおかしくないし、個人の能力に依存する事は企業にとって非常に危険で、それは愚かな企業でしょう。
しかしながら、働く我々は求めます。
「私にしか出来ない仕事を。」
でも、
そんな物無いです。
アーティストでも、
ビートルズが居なければストーンズを、ミスチルがいなければスピッツを、誰も居なければ、幼稚園の先生のピアノを。
人は簡単に変わりを見つけられるでしょう。
でも、ひとつだけ。
子供にとって血の繋がった親は、
己の遺伝子を継いだ生物は、
変わりなんかないでしょう。
もし僕が今死んだら、
妻に変わりの男性を、
死に物狂いで探して欲しい。それが子供達の、妻の救いになるのなら。
それでも卑怯な僕は地獄から叫ぶと思います。
おい、その子は僕の子だ、僕の遺伝子を受け継ぐ、僕の子供だと。
僕の時間とは何だろう。
生き甲斐があるならその生き甲斐に生かされているという事。
家族は勿論、趣味だってそうで、
アニメが趣味ならそこに消費すれば、また新しいアニメが産まれるでしょう。
アニメを楽しむ時間を作って欲しい。
無意味に早く出社したり、長い通勤時間をかける事もなく。
子育て系雑誌で共働き家族が起床5:30、弁当を作り7時には家族全員で家を出ると記載されていて、それは正解なのか?と思った。
通勤に2時間近い時間をかける。
一日が24時間しかないのは、どんな人間でも同じなんですよね。
もしその2時間を寝て過ごすだけだとしても、僕なら子供と一緒に寝ていたい。
その1時間を妻と笑って過ごせるならそうしたい。
ビビらず言います。
長い通勤時間は悪だと。
遠方に住むアナタが必要なら会社はその距離に掛かる時間を有給とすべきで、
そうでないならアナタがその近くへ行くしかない。
そのアナタとは誰かというと、
きっと僕で、
だから都心に引越しました。家賃はベッドタウンの20%増しでしょう。交通費の支給額も安くなりました。どうかと聞かれれば、
最高です。
僕の時間は僕だけのモノだと、
そしてその時間を正しい評価で買い上げてくれる存在が僕の周りを二人、
キャッキャ走り回ってる。
もし都心への引越しに迷われる方がいれば、
もし遠方にウチを買う事に躊躇ってる方がいるのなら、
これは一つの、無責任な、
僕からの提案です。
子供に怒るとは。
怒る、と、叱る、は違う。
イメージとしては前者は興奮状態であり、後者は冷静に指導している、といった風である。
子供に怒る事は間違っているのだろうか。
朝、息子が食卓に箸が出てないと言うので僕は、彼の好きそうなカーズの描かれた躾箸を持って行くと「コレいや!」とソファに突っ伏した。
妻ならすぐ取替えたかも知れないがその言い方にムカっときた僕は、
箸取ってもらったんだから最初にありがとうだろ!好みの箸があるなら自分で取りに行きなよ!と声を荒げた。
僕が普段あまり怒らない事もあって、
息子はシュンとして箸を取りに行き、僕の様子をチラチラ見ながら目玉焼きをつついていた。
少し落ち着いて僕は、
強く怒ってゴメンね、
でも、もし君がママの為に選んだプレゼントを「これイヤ!」って言ったらどう思う?パパは君が好きそうな物を選んだ、もし違ってもそんな言い方されたら悲しくなるだろ?
とっても悲しくなり過ぎて心がチクチクしちゃったんだよ。
そう言うとゴメンなさい、と息子は呟いて、僕ももう一度謝った。
彼が僕に怒られて箸を選ぶ様子を見れば分かるけれど、
子供は当たり前に小さくて無力だ。そんな存在に声を荒げた事は我にかえるほど苦しく、自責の念にかられる。
でも、彼も人で、恐らく怒りの感情と今後向き合う事だってあるだろう。
僕が大人気なく怒った事を、将来嘲笑してくれればいい。その代わり、少しでも怒りをコントロール出来る力になってくれたら。
僕は子に怒る事も必要だと思う。
でもそれは、ちゃんと怒りの感情をコントロールして、キチンと終結させる事とセットだと思うのだ。
まぁ、僕だって、子供が出来て、
君達子供がいるから、
分かった事なんだけれども。
初めてのオツカイ。
御近所のママが小2の息子さんのお遣いトレーニングでスーパーへ行かせるのでモッサンのお子さんもご一緒にどうですか?と。
妻が快諾、僕は少し不安だけれど、
まぁ小2のお兄ちゃんと手を繋いでなら大丈夫かなと。
しばらくして小2のお兄ちゃんが迎えに来てくれたので、皆で見送る。
「行ってきまーす!」と手を繋いで歩く二人はなんだか可愛いけれど、父、
早々、尾行開始。
よしよし、信号は守ってるな…と物陰から見守る僕の背後から「モッサーン、話は聞いたで〜笑」と、クリエイターを生業とする御近所さんが自転車で登場。あ、じゃあ、様子見で二人に声掛けてあげて下さい、きっと安心すると思いますよ〜と。
ニヤニヤしながら彼が子供らに話し掛けてくれて、安心したのも束の間、
幹線道路を横断中、信号が点滅。分離帯で止まるかと思ったら、二人は顔を見合わせたと思うと全力ダッシュ!
おいーーっ!
そして僕だけ信号で取り残されつつも、
どうにかスーパーで追いつく。
二人の課題は「指定されたオヤツを買う」。オモチャ付きのお菓子を買う小遣いは待たされてないし、今日はダメだと言っていたのに、
案の定、二人でスーパーヒーローシリーズの棚に突撃笑。
笑いを堪えながら影から様子見してると、「たこ焼きスナックあった!」と目標の品を発見。
すぐレジへ向かうかと思ったら、それからの二人のウィンドウショッピングが長い、長いわ笑。
盗撮しつつ状況をライン版に投稿。いつ不審者と判断されてもおかしくないな…と思ってると、二人はレジへ。
大人の中に並ぶ二人の背中は、目を凝らさないと見失いそうで、
頼りなくて切なくて、レジでまごつく彼らに思わず僕は飛び出しそうで、
側から見たら不審者度120%だと思う。
お兄ちゃんの手引きで無事レジを終えた息子、店を出る前のガチャガチャゾーンで足止め。二人してあーでもないこーでもない、とやっていると、見知らぬ30代くらいの女性が「どしたん?お金落とした?」と話し掛けてくれた模様で、よく見りゃアイツら、ガチャガチャしたさで小銭落ちてるのを探してた模様。
さすがに恥ずかしかったのか、大丈夫でーす、と返し、なんだか仲よさそうに女性と別れ、
その後、遊びながらもずっと手を離す事なく、二人は帰宅。
僕は、
お兄ちゃんの顔を見るなり、おう、スゲーな、ありがとうな、よく面倒見ながら行ってくれたね、と彼を褒め、
そして我が子も褒め称えた。
信号点滅で走った事が気になっていたけれど、あれは多分僕のマネだ。
「いいかい?大人は良くても君達はやっちゃダメだよ?」
って言葉が何の信用性も信憑性も持たないのは当たり前で、相手が子供でも「は?」以外の感想を持たないのは当然というワケだ。
日頃の自分を恥じながら、
それでもきっと彼らは「自由」のなんたるかを知ったのだと思う。
自由には責任がつきまとう。
それは二人が繋いで離さなかった、その手その物だ。
それでもその中で、
二人だけで動く、不安、高揚、解放感。
きっと、彼らは楽しかったと思う。
無事帰ってきた二人、僕は信号の事は勿論、付いて行った事も言わなかった。
危険に対する指導はまた後日やれば良い。それよりも、
彼らが生きる事の価値に、喜びに、
こんなに沢山、思うよりも沢山、側に転がってる事に気づいてくれたらと思う。それはね、
何も持たずに生きてきた父さんを、
それでも前に、前に進ませてきた力なんだよ。
どうか、当たり前の幸福が当たり前に彼らに与えられますように。
いつか、箸を握るのもやっとの短い指を絡めあい不安と戦って、
そこに見つけた世界が広く輝いていた事が、彼らの背中を後押ししますようにと、
願わずにいられなかった。