40代管理職、父になる。

6歳男児.2歳女児、共働きの父。趣味は自転車。

クリスマスプレゼントは何を贈るか。

このアンケート、千差万別十人十色のパパママ垢が、過去ないくらい満場一致に近い結果となり驚く。

 

さて、頂いたリプにもあるように、子供の頃、高価な知育玩具や百貨辞典など、親から「何か欲しい物ある?」と聞かれても、そもそも選択肢にすらない、あってもそれが何か分からない様な物をプレゼントされた人も少なくない。

 

僕もその一人で、クリスマスの朝、

目が覚めたら本棚いっぱいに百貨辞典が詰まっていて、その時はそれがなんだか分からなくて姉貴が読み散らかしていたし、親はしたり顔で、でも誇らし気だった気がする。

歳を重ねるにつれてその百貨辞典は恐竜、昆虫、人間の体、あたりからボロボロになっていったし、

小学生になった頃、その知識は学力としても友人の興味をひく雑学としても、ずいぶんアドバンテージになった。なのになんで今こんなに給料が安いのか分からない。

それはそうと、この秋、息子の誕生日に買ったウルトラマンルーブのルーブスラッガー、加えてルーブジャイロはすぐ飽きていた。今でもそれなりに娘と二人で遊んではいるが、欲しがった時の興奮はもう完全に消え失せている。

 

ただ僕は「アレが欲しい」という本人の願望を大切にしたい気持ちが強く、

それはむしろ願いが叶ったその喜びを大切にしたい、願わくばその顔を、

子供らがトキメクその瞬間を見ていたいという気持ち。

 

これから彼らが大人になり、一人で歩ける様になった頃、親がその夢や希望を叶える事は恐らく無い。

でも今、子供らの小さな夢ならば100%叶えてあげる事が出来る。それが一瞬の瞬きだとしても、親にとって大切な宝物なのではないかと思う。

 

サンタがいるかいないかと言えば、サンタなんていない。なのに「子供の夢」と称して僕らは子供を騙し続ける。それは多分、

神の様な存在から祝福として子にもたらされる喜びを、家族で祝い喜びあう事。というのはタテマエで、

 

僕達親が、子供から与えられてるのでは無いだろうか。と強く思う。

 

毎日毎日、家事育児に奔走する親の、年に一度のご褒美として、我が子に夢を与え、その純真な瞳をキラキラ輝かせる事が出来る。

だから殆どの人が子が望む物を与えたいと願うのだろう。そう思えば百貨辞典などはまた別の機会に与えてもいいのかも知れない。

 

クリスマスの朝。子が目覚め、きっと喜び、きっと駆け寄ってくる、その瞬間が欲しくて、その希望に満ちた笑顔が見たい、その一心で、親はただ騙し続けるのだ。

こんなに美しい感情はないと思う。

 

そしていつか、我が子がサンタの嘘に気付いた時、きっとこう思うと信じてる。

 

あぁ、僕はこんなにも愛されていたのだと。

 

30年以上前。

姉にサンタの正体を仄めかされ、

イブの夜ふすまの隙間からそっと居間を覗いてしまった。

そこには見慣れたサンタが二人、

父と母が、いそいそとプレゼントを袋詰めしていたのだ。

姉の話は本当だった。でもなんとなく分かっていたし、翌朝親に問うと、

「さぁ、どうだろうな笑」

と親父は照れ臭そうに笑った。

 

あの日、あの頃を思い出す度、

今も僕はこう思う。

僕は、愛されて育ったのだと。

 

 

今年もきっと沢山の家に、

僕の子供らにも、

沢山の愛情を袋にパンパンに詰め込んで、

サンタはまた、現れるのだと思う。