やっぱりママには敵わないのか。
「やっぱりママには敵わないや〜」
と、
早々に寝かし付けを諦めるパパにイラっとするパパ垢ママ垢の方々をよく目にするが、
他人事とはいえそのお気持ちは分かる。
「やっぱりママのオッパイがいいんじゃないの?」というパパのセリフにキレるママ垢をよく見ますが、
— モッサン (@5Rjheg) 2018年10月23日
夜泣きする娘を、抱っこスクワット小一時間無休で続け、腕の感覚が麻痺し、
膝がカクカクしてきたあたりで息を切らしつつ、
「や、やっぱりママの…」
と漏らした僕を誰にも責めさせない。
そもそも「敵わない宣言」をして、さっさと戦線離脱するのは共に育児現場を戦うパートナーからすれば重罪、
敵前逃亡は銃殺刑である。
とはいえこのご時世、
育児において「ママには敵わない」事など本当にあるのだろうか。
母乳も粉ミルクで代用できるし、
まだ一般的とは言い難いが育休も制度としては認められている。
正直、出来る男性であれば問題なく育児出来るのではないだろうか。
その上で「ママに敵わない」が逃げ口上に聞こえてしまうのは分かる。
しかし依然として「小さな子にはママが必要」「子供はやっぱりママがいい」という固定概念の下に、
離婚現場では80%以上母親が親権を取っているという現状。乳児となればもっと確率は上がりそうだ。
これを男女不平等、ジェンダーロールと片付けて良いのだろうか。
そもそも、子供は母親が産む。
それについては仕方がない事、もしくはまたそれかと顔真っ赤に反論する人もいるだろう。でもまぁ、その事実に関しては自然の摂理としても、
なぜ臍の緒で繋がれていた「期間」を無視するのだろう。
自身の命が芽吹いてから10ヶ月、
臍の緒で繋がり二つの肉体が生命を共 にするのはファンタジーでもなんでもない現実である。そこに特別な安心感、信頼を無意識の内に覚える事は何の疑いも無いのではないだろうか。
ハッキリ言って父親ではどうにも追いつく事の出来ない、二人きりの濃密な10ヶ月を過ごして産まれてくるのである。
もちろん生後その期間のハンディを塗り替える事も起きないとは限らないし、
また、乳児に対し父親は知識等の刺激を与える役割を持っていると近年の研究で分かってきたそうだ。
要は、乳児期で言えば本質的な父母の役割は全く違うといって良い。
子供はママが大好きといってバッシングされた政治家もいたが、
いったいどんな人が否定したのだろうか。
ママがママになる前、赤ん坊が赤ん坊になるその前の共に過ごす10ヶ月は、
母体がその辛さを抱かえながら無心に愛する期間で、その尊い愛情を胎児が
「半分はパパからの愛情だよね」
と感じて産まれてくるなら、それこそママはやってらんねーわ!ってなると思うのだが。
僕は何度でもいう。
男女平等というのは権利の話であって子育てとは別の場所にあると。
子供達にとって母は母、父は父である。
家事育児をどんな割合で分担しようと、
共働きであろうと専業であろうと、
父は父、母は母だ。
その役割を取って代わろうというのは飛んだ思い上がりである。
子供にとって一番の幸せは、
両親が自分を中心として仲睦まじい事ではないだろうか。
父は母に感謝し、
母は父に信頼を寄せ、その姿を見て、
子供は人との関わり方を学ぶのではないかと思っている。