40代管理職、父になる。

6歳男児.2歳女児、共働きの父。趣味は自転車。

ピンクは女の子の色?

「パパ、ピンクは女の子の色だよ?」

うーん、そうかな。

でも、仮面ライダーエグゼイドはピンクだよ?

と僕は返す。

息子は「そっかー。でもピンクは女の子色じゃないの?」

 

よくある話。しかし、

このイメージはどこから来るのだろう。

ネットで調べてみればすぐに出てくる。

最も説得力があったのは実験の結果、先天的にも後天的にも、女性がピンクに惹かれる事がある、という物。

ここではその詳細に触れる事は避けるが、とはいえ、

5歳の息子が思う女の子=ピンクというイメージは、誰かに押し付けられた固定概念なのか、自身で獲得した概念なのか、というのは大変興味深い。

例えば先生に「あらピンクの服なんか着て女の子かと思ったわ。」

と言われそう感じているのなら押し付けの概念かも知れないが、

ピンク色の持つ何かしらのイメージから女子を連想しているとしたらどうだろう。

 

さて、

四歳児だった頃の僕は、2つ上の近所の女の子と絵を描いて遊んでいた。

その中で、赤を使う僕に彼女は、

「赤は女の子の色だよ!」と言ってきた。しばし言い合いになり、ついに僕は

アカレンジャー男の子だよ!』

という理論に到達、自らの閃きに酔った。

赤は炎、情熱のリーダーカラーだ。

完全論破。

圧倒的勝利だ。

なのに、

「うるさい!赤は女の子!リボンもほら赤でしょ!歳下生意気!」的に結果、

泣きベソかいて帰ったと記憶している。

 

その時は理不尽に枕を濡らしたが、

今になって思えば彼女のいう事も正解だと分かる。

 

例えばトイレも、

男性は黒、

女性は赤である。

トイレのマークに使われた途端、

紳士のスーツを思わせる黒。

淑女のドレスを思わせる赤。

そんなイメージを誰もが抱くだろう。

女の子は赤である。

 

色による連想というのは、

実はとても楽しいし、もっと言えば正解はないので、その発展したカタチが美術、芸術だと考えて間違いないだろう。

芸術は楽しいのだ。

 

さて、ここで息子の言うピンク。

実は保育園である程度イメージ付けをされていて、それを知ったのは妻が息子を叱った後、

「ママ、まだチクチクの心?」と聞いた時。

保育園では機嫌の良し悪しを、

ピンクの心、チクチクの心、と形容してるそうで、なるほど、それは上手いな、

とウチでもしばらく使っていた。

 

そう、ピンクのイメージは

「優しい」から始まったのではないか。

男子の憧れる強さの対角にある「優しさ」。その現れとして「女子→優しい→ピンク」というイメージを持ったのではないだろうか。そこからピンク=カワイイに発展するのでないだろうか。

もちろん後天的イメージの影響で女子が好んでピンクを身に付ける事も否定出来ないが、

子供達が自身で獲得した「色のイメージ」である事に変わりなく、

それを流行りのリベラル思考で「色に男も女もない」と教育するのは、子供の想像力の阻害に他ならない。

そんな事は色に対して沢山の連想が出来る様になれば自ずと学習するもので、

色について「やーい女の子色〜!」などと冷やかされる事も、そういう人間は色でなくても難癖付けて他人を蔑めたい人なので、放っておくしかない。

 

白は天使、黒は悪魔、これは刷り込みによる印象でなく色に対するイメージからきてると思うし、

 

赤いザクは3倍早いというのは

後天的な知識でしかない。

そしてよく見るとシャアザクは赤と言うよりピンクである。

 

よって、

結論から言えばピンクは女の子の色ではない。それでも「他人の印象によって好きな色を諦めた」と言う人は、

その人の想いの浅さでしかないと言える。

余談かも知れないが、

色には信号、消防車の赤、マイヨジョーヌの黄色など、記号として意味合いが与えられているので、赤い服装が好きで真っ赤な格好をしていれば消防車と揶揄される事も覚悟しているべきかも知れないし、どちらかと言えば揶揄する人の方が異常なのでこれも放っておくしかない。

人の事なんか気にせず好きな格好したらイイじゃないの。

 

昨日息子に、

ピンクは女の子色?と聞くと、

ウン、と。

じゃ、女の子色って他にどんな色がある?と聞くと、

「ピンク、緑、紫…黄色?」

じゃ、男の子色は?

「青、黒、赤、緑、黄色…」

ん?緑と黄色、さっきもあったよ?

 

息子は笑ってたけれど、

彼の中でこの時、緑と黄色は違うイメージを連想させた模様。

いいね、多角的に物事を捉えてるね。

「たかくてきってなに?」

1つの事を色んな風に見る事が出来るって事かな?

 

ふーんと答える息子。

色んな色を知って、感じて、

自分らしさを見つけていって欲しいと、僕は願う。