40代管理職、父になる。

6歳男児.2歳女児、共働きの父。趣味は自転車。

子に死を教える

僕が「死」という物を知ったのは
多分、
小1の頃親が観てた火曜サスペンス劇場
いわゆる「火サス」だと思う。

当時の火サスは、
崖から落ちて死ぬ演出が多く、
自殺者や被害者はもちろん、
犯人も人質も、なんなら捜査員も、
とにかく崖から落ちた。

僕は、人は死ぬともう戻らないし、
死ぬ時は崖なんだ、と思い込み、
いつも夕方から出勤する母に、

「お母さん、崖に行かないよね?!崖に行っちゃダメだよ!約束だよ!」

と言っていた事を鮮明に覚えている。

(余談だけど、僕が母にワガママを言うと
「お母さんも約束守らないよ!崖行っちゃうよ!」と怒られた事もある。)

そうして、いつの日か人は死ぬ、と知ると、
親との別れが怖くて仕方なくなった。

僕が産まれた頃には4人の祖父母はとっくに天国だったので、
父に、お爺ちゃん達が死んだ時寂しくなかった?と聞くと、父は
「その頃は母さんと結婚してたし寂しくなんかなかったよ。でも少し泣いたかな。男でも産まれた時と親が死んだ時は泣いていいんだよ。」と軽くダンディズムを交えつつ、
「だからお前も父さん達が天国へ行くまでに大切な人を見つけなさい」

という感じの事を言われたと思う。

先日、息子が
「お爺ちゃんはパパのパパなの?」と聞くので、そうだよ、だから、君が子供を作ったら、パパはその子のお爺ちゃんだよ。
と言うと
「じゃあ、その子から見ておじいちゃんは何?」と。
ひいお爺ちゃんかな。まぁその頃お爺ちゃんは死んじゃって居ないだろうけどね笑。
と、つい軽く「死」に触れてしまい、

それはいつか誰にでも訪れる、
と語る事に。

すると息子は
「そんなの嫌だ、パパママ、どこにも行かないで!」とママの布団に潜り混んで妻に抱きしめられていた。

子供に死を伝える事は難しい。

でもまず自分の死より大切な人を失う事を想うのは、やはり彼らは全能感の中に生きていて、それが親の愛情による物である事を理解してるのかも知れない。

泣きじゃくる息子を見て
僕は思う。


大丈夫だよ、パパどこにも行かないよ。

崖にも行かないし、
おばけにもならない。

でもね、パパはどこにも行かないけど、

将来、君はパパから離れなきゃいけない時が来るんだよ。

その頃、
パパが死んじゃってても、

寂しくない様にね。